1960年に発売されたセドリックは、技術提携によりオースチン車の優れた技術を完全に吸収し、さらにエンジン、シャシー、ボディ等、全ての面にわたって新しく設計され、この世に登場した。それ以降日産の高級車として、2004年秋までその名前を轟かせることとなる。
その名前の由来はF.H.バーネットの名作、「小公子」の主人公から名づけられたと言うわれている。 |
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1965年10月に発売されたセドリック130は1971年1月まで生産されたモデルでセドリックの2代目に当たる。
前モデルのアメリカンスタイルとは打って変わってヨーロピアンスタイルとなったセドリックは、フローイングラインと呼ばれるフロントからリアにかけて下がっていくラインや、下すぼまりのCピラーなどが大きな特徴であった。
先行して1963年に登場したブルーバード410系と共に、イタリアの有名デザイン工房・ピニンファリーナのデザインが採用されたため、このセドリック用に日本でデザインされていたボディスタイルは拡大の上プレジデント150型にも流用されている。
ところが、残念ながらそのスタイリングは当時のユーザーには不評で、その後1年ごとにマイナーチェンジを繰り返し、1968年のマイナーチェンジでは、後の230型に続くアメリカンスタイルに大幅な変更が行われた。これにより、セドリックは、ほとんど別の車ではないかというくらいに変わることとなった。ちなみに、これは歴代セドリックのなかでは唯一3ナンバー普通車の設定が存在しないモデルでもあった。130型は、1971年1月に次の230型にフルモデルチェンジし、グロリア(それまでA30系、いわゆるタテグロ)と兄弟車となった。この130型は「三角窓」を持った最後のセドリックでもあった。
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