中古車情報 富士スピードウェイ走行会 イタリアンバイク 名車絶版車 味グルメ 今村陽一 ヴァンフォーレ

 

HOME\初めての方へ\お問い合せ  



富士重工
ラビットジュニアS301A

 

 現在、日本に存在するオートバイメーカーは4社(ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ)だが、昭和43年6月までもう1社オートバイメーカーが存在していた。そのメーカーの名前は「富士重工業」。そう今ではレガシィ・インプレッサをはじめとして「スバル」ブランドで個性的な車を創ることで有名な自動車メーカーだ。ラビットスクーターとはその「富士重工業」が創っていたスクーターなのだ。

日本の至るところに戦禍の爪痕を残した第二次世界大戦。都市の多くが焼き払われ、生産機能は麻痺し、輸送機関も荒廃し、農業生産も落ち、失業に加え食糧難が襲い、日本がまさに「飢えと乏しさの時代」に突入したこの時代に中島飛行機(株)は、終戦と同時に富士産業(株)と改称し、戦時中の航空機製造技術を国土の復興と国民生活の再建に生かすべく民需品の生産に力を注いだ。このころ、個人用の乗り物と言えば自転車であったが、公共輸送機関が半ば麻痺状態に陥ったため、より高速で輸送効率の高い乗り物の需要が増加した。その期待を担って登場したのがスクーターとオートバイだ。特にスクーターは、時代にマッチし、手軽に誰にでも運転が出来る乗り物の花形として人気を呼んだ。
 富士産業(株)のスクーター生産は、終戦直後、アメリカ軍落下傘部隊用のスクーター「パウエル」が太田工場に持ち込まれたことから始まった。戦時中、「隼」の生産に携わっていた技術者たちは、これを手本に日本の交通事情に合ったスクーターを、エンジンは三鷹、車体は太田の分担協力で設計し、昭和21年6月、太田工場で試作1号車を完成した。この試作車は車輪に、当時デッドストックとなっていた陸上爆撃機「銀河」の尾輪をつけた2馬力135ccのスクーターであった。翌22年に本格生産が開始されたこのスクーターこそが国産初のスクーター、「ラビット」である。爆発的な人気を博したラビットは、そのボディデザインが「うさぎ」のイメージと重なり、また、スクーターという軽快な乗り物が、飛び跳ねるうさぎの姿を連想させるところから命名された。
 その後日本が復興し、本格的なモータリゼーションが訪れるまで、人びとの貴重な足として大活躍した。
 その後、改良車を次々と発売し、ラビットは市場の人気を独占し、国民の足となっていった。S1型からS301型まで637,487台が製造され、現在の実動車は、およそ3,000台程度と言われている。今回登場のS301A型は、125cc、2サイクルユニットスイングエンジン、3段ギアミッションなどを採用し、斬新なスタイルを持った実用車となり、従来の車よりも最高速度、登坂限度共に大幅に向上した1台だ。

OWNER : A.NAITOH


名車index

2000-2007 Carplay.magazine, Inc. All rights reserved.
carplay.net