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 ロータスとコーリン・チャプマンの名を一躍世界に広めた1950年代スポーツカーの傑作『ロータス エリート シリーズ1』。常に先進を目指すロータスならではの革新的なスポーツカーとして1957年のロンドンショーでセブンと同時に発表された。当時の日本の自動車メーカーが研究用として挙って購入したという逸話も残っている。
 ロータス初の優美なクローズドボディを持つGTだった『エリート』はスポーツカーの宝石とも言われ、自動車史上でも極めて稀なオールFRP製のモノコックボディを持つ。軽量でありながら高出力を発揮する名エンジン、「コベントリー・クライマックスFWE4気筒SOHC1216cc」は、その起源を辿れば消防ポンプに行き着くというから面白い。
 この時代のスポーツカーの中でもひときわ美しい、エレガントとさえ言われるスタイリングだが、実はチャプマンの友人で会計士を本業とする全くの素人、ピーター・カーワン・テイラーの手によるものであった。1960年にはシリーズ2に進化すると同時に85PSにチューンアップしたハイパワー版SE(スペシャル・エクイップメント)を追加、さらにエリートをモータスポーツに供するユーザーのために、ウェバーキャブレターなどで一層のチューンが施されたスーパー95、スーパー100などの発展モデルも少数ながら製作された。
 ほとんどジャガーEタイプにも近い高価格にもかかわらず世界中の愛好家から熱烈な歓迎を受けたエリート シリーズ1は、その一方で最後まで解決できなかった弱点が、FRPモノコック故の各部からのこもり音の問題、そしてクライマックスFWEエンジンの過大なオイル消費につきまとわれた上に、FRPボディの製作を依頼していたブリストル・エアクラフト社への支払いが常にロータスの経営を圧迫するという皮肉な結果を生むこととなる。
 レースシーンでは、ル・マンでも6年連続クラス優勝を飾るなど大成功を収めるが、あまりに高価過ぎ(生産性が悪過ぎ)た為、。商業的には失敗に終わってしまうこととなる。
 結局、余りにもピュアな成り立ちが仇となり、988台が生産された後に1963年を以って生産を終えることになるが、その際にアメリカの某自動車専門誌は1ページの“追悼”特集を組んだという逸話が残っている。現代でも“オリジナル・エリート”と呼ばれて、世界中のエンスージアストにとっての憧れの的となっている。


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