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「科学と芸術の粋を集めた画期的なスクーター」の登場!!
このキャッチフレーズで、ホンダ初のスクーター、ジュノオ(ギリシャ神話の女神の意)は大々的に発表された。しかし、新素材だったポリエステル樹脂、FRPの生産性が低かったうえ、ボディに覆われた3Eのエンジンがオーバーヒートに悩まされ、豪華装備、車重増、取り扱いづらい・・・・など、アイデアに技術が追いつかない結果になり、販売は不振に終わった。
本田宗一郎が『マン島TTレース出場宣言』を社内に向けて発表した1954年にホンダから発売されたスクーター『ジュノオ』。ラビットやシルバーピジョンのスクーターが大人気だった頃、ホンダが造った初のスクーターだ。ホンダ独自のOHV方式の強制空冷4サイクルエンジン(189cc)を搭載、ボディには強化プラスチック(FRP)を採用、セルフスターターを装備するほか、全天候への試みとして、当時どのメーカーも試みてなかったアクリル樹脂製の大型ウィンドシールド前方に雨よけ用ルーフを収納するなど、数々の斬新な新機構を盛りこみ、当時としてはスーパーカーなみの注目を集めた。
その後発売されたホンダジュノオKA型、KB型はK型のエンジンをパワーアップした強制空冷4サイクルエンジン(220cc)を搭載するなどの改良を加えて発売されたものである。
しかし、オーバーヒートしやすく、重量が重かった為に今ひとつの売れ行きだった。
昭和36年11月に発売されたジュノオ M型は水平対向2気筒エンジンに、油圧無断変速機を組み合わせ、モノコックフレームに搭載。FRP樹脂など先進技術を詰め込んだホンダ2作目のスクーターだ。相変わらず売れに売れていた富士重工のスクーター「ラビット」に対抗するためにホンダが投入した意欲作だった。
スリムさが特徴だったジュノオK型が斬新な機能で注目を集めたのに対し、M型は静粛性と動力性に長けており、変速機にバダリーニ式の油圧式無段変速機を採用するなど、先進の技術による高精度のスクーターとして開発されたものであった。
ホンダジュノオM85は、これらの機構をさらに改良し、170ccエンジンを搭載、バダリーニ式と手動変速を併用するなど、より完成されたスクーターとなった。最高出力は12馬力で最高速度は100キロ近く出たそうだ。
しかし、この「パダリーニ流体自動変速機」は重量が重く、しかもパテント料が高いので車両価格も高くなってしまう。さらにメカニズムが複雑過ぎて整備が難しかったことなどから、ジュノオM80・M85はあまり売れずに発売後1年ほどで生産中止になってしまった。まさに「時代を先取りし過ぎた」スクーターだったのだ。
面白いのは、このジュノオM85のエンジンレイアウトがボクサー、すなわち「水平対向」で、ライバル車のラビットが2サイクルエンジンを採用していたこと。 現在は、ボクサーといえば、富士重工を代表するエンジンレイアウトだから、不思議なものだ。
ジュノオで大失敗してしまったホンダが、その後スクーター市場に再参入するのは1980年の「タクト」からであり、実に18年の歳月を要すこととなった。
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